日本遺産候補地域

タイトル

〜「民の力」で創られ蘇った北の商都〜

小樽市では、小樽独自の貴重な歴史文化遺産を日本遺産として登録するための取り組みを進めてきました。その結果、文化庁より「日本遺産候補地域」として認定され、現在本認定に向け取り組みを推進しています。本アンケートはその一環で、多くの市民の理解を促進するために行われます。

タイトル

かつて小林多喜二は、小樽のまちを、北海道の「心臓」と表現しました。明治以降、港と鉄道の「大動脈」により、多数の物資と人が押し寄せ、巨大なニシン番屋、石造りの倉庫などを造っていきました。明治後期には、大手銀行や商社の支店が進出し、経済の「血液」、金融の力で北日本随一の商都に飛躍して栄華を極め、運河をはじめ近代的インフラが「骨格」としてまちを支えました。
昭和後期、小樽運河保存運動を経て、まちを愛する市民たちの「民の力」で、ロマン溢れる歴史的建造物とまち並みの魅力が再発見され、カフェなどの飲食店、博物館等の文化施設に活用されていきました。かつての商都から、文化と観光の「心臓」に生まれ変わった小樽は、国内外から訪れる人たちを魅了し続けています。

小樽の新たな鼓動
「旧北海製罐㈱小樽工場第3倉庫」

北海製罐倉庫㈱事務棟、工場、倉庫は、大正11年〜昭和10年にかけて小樽運河の埋立地に建設された、艀荷役の最盛期を象徴する建造物です。明治43年、堤商会(現・北海製罐)がカムチャッカに最初の缶詰工場を建設。翌年ロンドンに鮭の缶詰を輸出したことから、汽船の採用と缶詰工場を主体とする工場制工業的漁業へと発展していきます。大正10年には北浜地区に北海製罐倉庫が創設。第1、第2倉庫の建設後、大正13年には第3倉庫が竣工、昭和10年までに主な建物は建築され、第2倉庫、第3倉庫、工場、事務所が現存しています。令和2年、北海製罐㈱から小樽市に第3倉庫解体検討の方針が示されたことで、「第3倉庫活用ミーティング」が立ち上がりました。令和3年、第3倉庫は小樽市に無償譲渡され、小樽港のランドマークとして保全・活用に向けた取り組みが始まりました。夜のライトアップをはじめ、小樽運河100年プロジェクトなどのイベントにも活用されるなど、「民の力」により新たな鼓動が生まれています。

第1号に寄せられたアンケートより

あなたが参加する我がまちのサブストーリー

第1号には227通のアンケートが寄せられ、たくさんの「あなたの家やお店のお宝エピソード」が集まりました。その中から一部をご紹介します。
※文章は、原文のまま掲載しています。個人の記憶に基づくものであり、一部史実と異なる場合があることを予めご了承ください。
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第2号に寄せられたアンケートより

あなたが参加する我がまちのサブストーリー

第2号にも約200通の回答が寄せられています。一つひとつが大変貴重なご意見であり、「お宝エピソード」です。引き続き、皆さまからのアンケートをお待ちしています!
※文章は、原文のまま掲載しています。個人の記憶に基づくものであり、一部史実と異なる場合があることを予めご了承ください。
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第3号に寄せられたアンケートより

あなたが参加する我がまちのサブストーリー

第3号までに600通を超える回答が寄せられています。最終号も引き続き、皆様の貴重な「お宝エピソード」をお待ちしています!
※文章は、原文のまま掲載しています。個人の記憶に基づくものであり、一部史実と異なる場合があることを予めご了承ください。
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