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日本遺産候補地域
〜「民の力」で創られ蘇った北の商都〜
小樽市では、小樽独自の貴重な歴史文化遺産を日本遺産として登録するための取り組みを進めてきました。その結果、文化庁より「日本遺産候補地域」として認定され、現在本認定に向け取り組みを推進しています。本アンケートはその一環で、多くの市民の理解を促進するために行われます。
かつて小林多喜二は、小樽のまちを、北海道の「心臓」と表現しました。明治以降、港と鉄道の「大動脈」により、多数の物資と人が押し寄せ、巨大なニシン番屋、石造りの倉庫などを造っていきました。明治後期には、大手銀行や商社の支店が進出し、経済の「血液」、金融の力で北日本随一の商都に飛躍して栄華を極め、運河をはじめ近代的インフラが「骨格」としてまちを支えました。
昭和後期、小樽運河保存運動を経て、まちを愛する市民たちの「民の力」で、ロマン溢れる歴史的建造物とまち並みの魅力が再発見され、カフェなどの飲食店、博物館等の文化施設に活用されていきました。かつての商都から、文化と観光の「心臓」に生まれ変わった小樽は、国内外から訪れる人たちを魅了し続けています。
「斜陽のまち」から観光都市へ・「民の力」による再生
昭和40年代、高度経済成長期に取りのこされた小樽では、増え続ける車社会の対応や経済再生のために倉庫を取り壊し、運河を埋め立て道路にする計画が決定し、有幌地区の倉庫群の取り壊しが始まりました。
そのとき「まちの記憶」を守ろうと保存運動が起こります。10年にもわたる小樽運河を守る会と市民による「小樽運河保存運動」の始まりです。運動は、当初、すでに工事が開始され、市民が近づかない運河を守る意義が問われ、四面楚歌の状態でした。しかし、運動が訴え続けた「地域に生きるとは何か」というメッセージに若者たちが応え、運河とその周辺の石造倉庫を舞台にした市民手づくりのイベント「ポートフェスティバル・イン・オタル」(写真)を開催し、6万人もの市民らが運河を訪れました。若者たちは署名活動にも奔走し、2か月で9万7千人の署名を集め、運河保存の気運を高めました。運動が受け入れられた背景には、港湾都市、商都としてまちをつくってきた市井の人々の誇りと「民の力」の伝統がありました。歴史を生かす新たな展望と具体的な代替道路案を提案した運動は、その後のわが国のまちづくり運動のお手本と言われ全国から注目されています。
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