日本遺産候補地域
〜「民の力」で創られ蘇った北の商都〜
小樽市では、小樽独自の貴重な歴史文化遺産を日本遺産として登録するための取り組みを進めてきました。その結果、文化庁より「日本遺産候補地域」として認定され、現在本認定に向け取り組みを推進しています。本アンケートはその一環で、多くの市民の理解を促進するために行われます。
かつて小林多喜二は、小樽のまちを、北海道の「心臓」と表現しました。明治以降、港と鉄道の「大動脈」により、多数の物資と人が押し寄せ、巨大なニシン番屋、石造りの倉庫などを造っていきました。明治後期には、大手銀行や商社の支店が進出し、経済の「血液」、金融の力で北日本随一の商都に飛躍して栄華を極め、運河をはじめ近代的インフラが「骨格」としてまちを支えました。
昭和後期、小樽運河保存運動を経て、まちを愛する市民たちの「民の力」で、ロマン溢れる歴史的建造物とまち並みの魅力が再発見され、カフェなどの飲食店、博物館等の文化施設に活用されていきました。かつての商都から、文化と観光の「心臓」に生まれ変わった小樽は、国内外から訪れる人たちを魅了し続けています。
「民の力」の結集・運河保存運動から始まった
新たな小樽のまちづくりのスタート
小樽運河保存運動が目指していた運河の全面保存はされませんでしたが、一部は散策路として整備され、市民が再びまちに誇りが持てる観光都市として再生しました。その動きは今も脈々と引き継がれ、市民と行政、経済界が一体となる「小樽雪あかりの路」は今や北海道を代表とするイベントの一つに成長し、多くの市民や外国人ボランティアに支えられています。「民の力」は世界に広がりを見せているのです。
全国から新天地を求めて人々が押し寄せた小樽では、私費による治療院や孤児院の運営などの福祉、厚生、障がい児教育へのとりくみなどの社会基盤を作ってきた「民の力」の歴史をもちます。小樽運河保存運動によって、まちの遺産が再評価され、まちづくりに活用している背景にはこの「民の力」の伝統が生み出したものです。運河を街のシンボルとして蘇らせ、まちづくりに生かし、これら遺産の魅力を伝える新しい活用の模索は、今も街の至る場所で始まっています。
第1号に寄せられたアンケートより
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